1人でもふもふ

ゲーム・映画・音楽・アニメ・漫画・本等、感じたこと思ったことを書いています

ネットで成功しているのは〈やめない人たち〉である 感想 : ブログを続ける理由

このブログを続けてちょうど一年になるんですが、自分が始めた理由はefigoというファミ通主催のSNS日記がサービス終了してしまうのでログを保存してた時、過去の自分がどういうゲームを遊んでどう思ったのかを自分なりに面白おかしく書いていたのを読み返して「こういうログ公開の場が無くなるのは寂しいな」と思ったからです。過去ガブリ日記という同じようなSNS日記サイトでもサービス終了してefigoに移行したので、これはもう半永久にログが残るであろうブログサービスへ移行するしか無いなと。
それともう一つ、SNSでログを公開していると自然とフレンドが出来てそれはとても楽しいのですが、書いている記事がだんだん読んでくれるフレンドを想定したものになっていくのがどうしても変えられなかったからです。まあ当然です、コメントしてくれるのは嬉しいですから。でも自分が本当に面白い、興味があるものを書けなくなっていくのがSNSをやっていて残念に思っていた事だったりします。でもこのブログのタイトルであるように「一人でもふもふとやっていた」りすると書くモチベーションは下がっていくのも事実。(コメント書いてくれる人には感謝!)
その折り合いを皆どうしているのかなと思い、この本を手にした次第です。



■一つ一つのことは薄くても、時間が経過して蓄積されていけば、どんなに薄くても情報はある高さという結果に到達します。
自分を振り返るに、最初は毎日では無くても書けるだけ書こう!と思って始めたのに今では一週間に一度上げれば良い方になってしまいました。やっぱり内容は薄くても興味がある事はどんどん記事にしていく姿勢で行きたいです。


■「見て欲しい!」という気持ちが先に立っている記事やツイートは、いともあっさり空振りします。「見て欲しい!」という気持ちの押し付けは読み手の行動を阻害するから。
「コレは皆に読んで貰えたら」と思える自分の中での良記事は大体押し付けがましい文体になったりするんですよね。後で読み返して「あー何か気持ち悪い文になったな」と思えたりするので気をつけたいです。


■三年間はブログをやめない。一年目:種まきの期間、二年目:熟成の期間、三年目:刈り取りの期間。ネットで「発信」してるとか「活動」してるとか考えずに、自分が本当に興味のあることだけをやっていく。元から何も期待してないと、思わぬ人や反応があった時嬉しい。
一年目ですでに飽きが来ている自分としては耳が痛い話。ブログはSNSと違って世界中に公開されるので気負った部分が出てしまうのが良い部分でもあり悪い部分でもあり。期待しないで自分に興味がある事にフォーカスして行こうと思います。


■「ネットは未来の自分のためにだけ使う」という利己主義のほうが「誰かに一度でも良いから評価されたい。」という周りの空気読みよりも断然オススメ。ってのは長年言い続けているけど、そんなに浸透している気はしないから何度でも書きたい。
過去の日記サイトのログ読んでいて感じた事で、「あの年自分は何に興味があって何を思って生活していたのか?」というのが鮮明に思い出せて懐かしかったり楽しくなれたりします。自分の場合はゲームの話が中心ですが、その時の時代背景や今でいうゲハ戦争(ゲームハード論争)等を思い出してニヤニヤ出来ましたw2〜5年前でもそういう感情が芽生えるのだから、10年20年先に今のログを読み返した時どんな風に思うんだろうな、と思います。さしずめブログは未来カプセルみたいなもんです。


この本には書いてないんですが、自分の中でブログを続ける理由は「自分の好きなもの興味のあるものを客観的に見られるから」というのもあります。意外と自分が何が好きかって自覚出来てない部分があるんですよね。「ブログに書きたい!と思える程好きな事=自分が本当に好きな事」なので、自分を客観視出来るというのはメリットなんじゃないかと思います。

以上自分の中でまとめると「自分が好きな事興味のある事だけ」を内容が「薄く」なっても良いから「出来れば毎日」「3年間」は続けたいと。まあ「出来れば毎日」というのは気構え程度でお願いしますw

ネットで活躍している100人にアンケートを取った結果の分析と有名ブロガーとGoogleの中の人のインタビュー記事。自分もブログやってるので共感出来たし、はっとした部分も多かった。でも文章の構成というか、説得力に欠ける部分があって、今一つ「?」となる所があったのが残念。