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ブッダにならう 苦しまない練習 感想

ブッダにならう 苦しまない練習
ブッダにならう 苦しまない練習
 嫁が珍しく本屋でこの本を買ってきたので理由を聞いてみると、大好きな小池龍之介僧侶の著書だったのでつい…という事だったらしい。結局本人は3分の1も読まずに自分の本棚に置かれていたので読んでみました。


 Amazonの内容紹介によると、
「不機嫌」「ゆううつ」も練習で直せる。日常生活のなかで簡単に実践できる25のシンプルな心のトレーニングで、自ら作ってしまっている「悩み多き自分」や「寂しい自分」、「人づきあいが苦手の自分」などとサヨナラしよう。気鋭の僧侶・小池龍之介氏のわかりやすく実践的なメッセージとブッダの教えが融合し、全編を通し気づきが溢れる一冊。


 色々と良い事が書いてあったけど全部紹介出来ないので、その中で2つだけ心に残ってかつ実践してみたいと思ったものを挙げてみたいと思います。


◯孤独を味わう
 インターネットや携帯電話が無い時代、私達は退屈な時間を過ごしていました。
今は常にアクセス出来るようになっている為、軽い言葉がいつも行き交って「つながって」います。
 けれどきちんと通じあえていない。言葉を沢山交わしているのに、「中途半端に」繋がっているせいで余計に寂しくなっているように思えます。


 今の自分自身の問題でもあるなと思いました。ネットで仲良くなった人と近しい存在になればなるほど自分の価値観や趣味と違う点が目につき始め、最後には嫌悪感すら感じてくるというパターン。
 もっと仲良くなりたいのに、傷付け合う関係になってしまうジレンマ。
 そうではなくて、人はそれぞれ違う宇宙を持っていて、その宇宙と宇宙が少し重なり合う時があるだけで、いつも共有されているなんて錯覚にすぎない、と言っています。
 裏を返すと、元々別の宇宙なのだと思う事で、一対一の人間として接することが出来、近しい人でもあくまで一定の距離を保ちながら接する事が出来ます。
 

◯身体を見つめる
 仏道修行の経典「大念処経」の言葉で、「身体をこう操作しましょう」ということではなく「自分の自然な身体動作がどうなっているのかを常に意識しましょう。」ということです。

 意識し続ける事によって、常にこの瞬間にやっている事を心に留めます。
 これが「考えない練習」、そして実は「瞑想」なのです。


 自分の経験でいうと、例えばストレッチ中などは特に何も考えてない、と思うでしょうが実際は「あーこれからランニング行かなきゃなあ。寒いなあ」とか「昨日上司にこっぴどく怒られたよなあ。あんな怒り方しなくてもいいのに」とかこれから起こる未来や過ぎ去った過去を考えてしまうものです(しかもそれが大体ネガティブな想像だったりします)。
 実際上の実践をしてみるとこうなります。「今足を曲げた。曲げた。曲げた。息を吸った。吐いた。吸った。吐いた。目は天井を見続けている。腕は足を持ち続けた。」
 そうすると確かに余計なことを考えないんですね。そして今やっていることに集中出来る。
 自己啓発系の本などとは真っ向から反した教えなのですが、仏道では今この瞬間の現実をひたすら認識しましょう、現実そのものにしっかり意識を結びつけたら余計な雑念が消えて幸せ(=充足感)になれますよ、と教えているそうです。
 自分は常にこれをやる必要は無いとは思うんですが、これは目の前の単純で飽き飽きしている作業なんかにはすごく効果的なんじゃないかと思いました。


 
 その他にもビジネス本や自己啓発本とは違う少し別角度から人生についての教えが載っていて読んでいて新鮮でした。仏教なんて…と思っていたんですが現在の社会でも充分通用するような話が多く載っていてタメになりました。

ブッダにならう 苦しまない練習

ブッダにならう 苦しまない練習